元SUPER☆GiRLS田中美麗「AKB48も知らないコミュ障の私が本物のアイドルになるまで」

元SUPER☆GiRLS田中美麗「AKB48も知らないコミュ障の私が本物のアイドルになるまで」

 2010年6月に華々しく結成されたSUPER☆GiRLS(スパガ)は、エイベックス初となるアイドルグループだ。コンセプトは「王道」で、ビジュアルも楽曲も正統派を追求していた。

 彼女たちはイトーヨーカドーのCMに出演。そのCMソング『MAX!乙女心』がスマッシュヒット。2013年には日本武道館でライブを行うなど、スパガはアイドル戦国時代の華として活躍した。

 その中で、アイドルに興味がなく、前に出ることを好まない田中美麗は、初期こそ人気ランキングのワースト3を行き来していた。それでも徐々にファンからの支持を得て、1位、2位を争う人気メンバーとなった。

 しかし、16年7月からコンディションを崩すと、12月から活動を休止。復帰を果たすも、ヘルニアが直接的な原因となって18年3月にグループを卒業した。

 その後、女優としての道を歩み始めた彼女に、アイドル時代の葛藤や卒業後の展望を聞いた。(全2回の1回目/ #2 へ続く)


元SUPER☆GiRLS田中美麗さん

10歳でエイベックスに入ったときは「モデル志望」だった

——スパガを卒業した田中さんが再出発するというニュースを見て検索したら、お母さんが有名な美容家だと知って驚きました。お母さんはアクティブな方のようですが、田中さんにはそのイメージがないですよね。

田中 お母さんとは180度違います(笑)。でも、小さい頃は私もアクティブで応援団長をやるような子だったんですよ。この業界に入ってから委縮するようになって。

——10歳の時に『avex audition project俳優・タレント・モデルオーディション』(2007年)を受けて、エイベックスに入ったんですよね。

田中 芸能界に興味はなかったけど、大手芸能事務所にスカウトされた時にちゃんとした事務所だと思わなくて断ってしまったことがあって。それが頭の片隅にあって、たまたま開いた雑誌のページにオーディション告知を見つけたので、「落ちる前提で受けてみよう」というノリで応募したら合格したんです。元SKE48木崎ゆりあ東京女子流の山邊未夢、モデルの江野沢愛美、女優の山谷花純が同期でした。

——最初は「モデル志望」で入ったそうですが。

田中 はい。ただ、レッスンを受けているうちに「モデルより芝居をやったほうが伸びそう」と言われたので、お芝居をメインに切り替えて週7でレッスンに励みました。年に2回合宿があるんですけど、そこで成果が出ない子はクビを切られてしまうんです。

——まだ小学生なのに残酷な場面を目の当たりにして。

田中 そうですね。「あの子、春の合宿にはいたのに冬の合宿にはいないね」ということはよくありました。ただ、私の場合は怖さもあったけど、「落ちたら落ちたでいいか」ってどこか吹っ切れていたんです。

AKB48も知らないレベルでアイドルに

——2010年に『avex アイドルオーディション 2010』を受けるわけですが、アイドルになることに興味はなかったんですよね。

田中 まったくなかったです。お芝居のレッスンを受けにいったら「声のテストをしたい」と言われて、指定されたフロアに行くとたくさんの大人がいて。「この紙に歌う曲のタイトルを書いて。エイベックス所属のアーティストでね」と言われたんです。だけど、エイベックスのアーティストが浮かばなくて困っていたら、「エイベックスじゃなくていいから」と言われて新垣結衣さんの曲をチョイスして歌いました。それが1次審査だったんです。

——アイドルに詳しくなかったんですか?

田中 AKB48さんを知らないレベルでした。モーニング娘。さんにハマることもなく、「ミニモニ。のゲームが好きだったな」くらいで。それもあって、2次審査以降は「どうせ受からないんだろうな」と思いながら臨みました。

——それでも審査をクリアしていく。4次審査の合宿ではユニットに分かれて課題曲に挑むなど実践的だったので、モチベーションが低いと乗り越えるのは大変だったと思います。

田中 最初は「私、何やってるんだろう」と思ったこともあったけど、どこかのタイミングでスタッフの方から「アイドルを目指すんじゃなくて、アイドルをステップにしてやりたいことができるように頑張ればいいんじゃないか」と言われて、「アイドルになってみよう」と気持ちが切り替わりました。

観客12人以下。ライブが中止になっても「やっぱりな」

——最終審査を勝ち抜いた12人でSUPER☆GiRLSが結成されました(2010年6月)。華々しく発表されましたよね。

田中 スポーツ新聞に大きく載って、朝の番組に取り上げられて、「打倒! AKB48」みたいなことを言って。

——AKB48をよく知らないのに(笑)。

田中 そうです(笑)。

——「すぐに売れる」と思いました?

田中 思いませんよ〜。「1年、2年続いたらいいな」くらいで。当時は中学2年生だったけど、「ブームはすぐ終わるはず」と冷めたテンションでしたから(笑)、いまを楽しもうと思ってました。

——実際、a-nation ’10愛媛で行われた初ライブは観客が12人以下で、2011年1月に開催を予定していた日本青年館のライブも集客が見込めず中止になりました。

田中 「やっぱりな」と思いました(笑)。その頃は「ただ前に進めばいい」としか考えてなくて、スタッフに言われるまま行動していたので。

「コミュ障だから」人気がないんだ

——スタッフから「このキャラでいけ」とか言われることはなかったですか?

田中 (溝手)るかは「歌を真面目に追求して」と言われたり、あみた(前島亜美)は「アイドルらしく」と言われていたけど、私には一向に言ってこないんです(笑)。不安に思って聞きに行ったら、「美麗はそのままでいい」と言われて。「いや、『そのまま』が分からない」と思ったんですけど(笑)。「キャラがないってことかぁ」と受け止めました。そもそもワースト3を行き来するような不人気メンバーだったんですよ。

——「AKB48みたいな総選挙はない」と聞いていたけど、モバイルサイトでの人気投票があったんですよね。

田中 あんなにハッキリと順位が出るなんて。しかも、ランキングは低いのに『みらくるが止まンないっ!』(1stアルバム収録曲)でセンターになったもんだから、メンバーやファンの目が怖かったです。「人気がないのになんで前にいるの?」と思われているんだろうなって。MV撮影の時はカメラを向けられると泣いちゃうくらい精神的に不安定でした。

——人気がないことを自己分析したんですか?

田中 自己分析して、「アイドルらしくないから」「コミュ障だから」という結論に達しました。ファンの方の間では私の握手が伝説になっていたんですよ(笑)。相手の目じゃなくて自分の手を見て、「田中美麗です。ありがとうございます」しか言わないから。不器用だし、まだ14歳だから40歳や50歳の方と目を見てしゃべるのが恥ずかしかったんです。当時は握手会が苦手で、出たくなくてトイレにこもったこともありました。

きっかけは「前髪を切ったこと」

——でも、どこかで掴んだわけですよね。

田中 3rdアルバム『Celebration』の時期(2013年2月)に前髪を切ったんですよ。

——前髪が関係あるんですか?

田中 超関係あるんですよ! それまでのキツそうな印象が変わったみたいで、ファンの方が「柔らかい雰囲気になったね」と褒めてくれたから、私も素直に「本当に⁉」と返して。その何気ない掛け合いから自然に話せるようになったんです。もともとはしゃべりたがり屋なので、本来の自分が出せるようになったんだと思います。それから握手会で完売が出て。最初は「偶然かな」と思ったけど、どんどん完売が増えていったんです。

——グループ内の人気で1位、2位を争うようになって。

田中 そうでしたね。あみたと私は完売しちゃうから、ファンの方も早く買うようになったみたいで。その人気をどうキープしようという悩みもありましたけど、握手が得意分野になりました。

センターになったときは挙動不審だった

——スパガの象徴的な存在だった前島亜美さんのことはどう見てましたか?

田中 あみたはアイドルの鑑でした。やることをしっかりやって、弱音を吐かない。でも、たまに見せる弱さがかわいくて。「支えてあげよう」と思ったこともあるけど、手を差し伸べる隙がないくらい「できる子」だったので見守るしかなかったんです。スパガのセンターにふさわしい存在でした。

——スパガのセンターといえば前島さんの印象が強いですけど、田中さんも『イッチャって♪ ヤッチャって♪』(2015年8月)で表題曲のセンターになってますよね。

田中 事前の面談で「センターに立ってもらいたい」と聞いた時は、「私なんて無理ですよ〜」と答えたんです。「センターになりたい!」と熱い想いを持っているメンバーもいるので、まわりの目線が怖くて挙動不審だったと思います(笑)。

——前島さんの気持ちも分かりましたか?

田中 はい。すごいプレッシャーと戦っていたんだなって。私は振りを完全には覚えてなくて、基本的には前の人のダンスを見てマネするんですけど(笑)。センターだと前にいるのはメンバーじゃなくてお客さんなんですよ! その頃からアイドルとしてのプロ意識が芽生えたと思います。

「親から温泉やプールに行くことも禁じられていました」

——2012年にはグループ内でスキャンダル報道がありました。

田中 初めての出来事で、あっという間に時間が過ぎたように感じます。「グループはどうなるんだろう」という不安があったし、そのメンバーの精神的な部分も心配でした。自分としてはメンバーを責めることじゃないし、起きてしまったことは仕方ないと思っていたので。

——田中さん自身はアイドル活動をすることで、プライベートが制限されることを苦に感じませんでしたか?

田中 親からプライベートを制限されていたので、「アイドルになったから」といって苦に感じることもなかったんです。

——スパガに入る前から?

田中 小学2年生からGPS機能がついた携帯を持たされて、それが当たり前だと思っていたんです。iPhoneに変えてもAppleIDを共有しているから自動的にGPSを入れられちゃう(笑)。なんなら今もそうですから。

——学校の友達と夜遅くまで遊ぶこともなく。

田中 そんなことできないですよ。めちゃくちゃ怒られますから。「夜遅くまで遊ぶなら私を呼びなさい」と言われて、友達の家族と私の家族で夜中にドライブしたこともあります。事務所より親のほうが厳しかったんです。

——そうでしたか。

田中 スパガではプールや温泉に行くことを禁じられていたんですけど、活動しているうちになぁなぁになって、他のメンバーはプールや温泉に行くようになったんです。でも、私の親は断固として行かせてくれなかった。「盗撮されるかもしれないから」って。

——まわりの子がうらやましいと思いませんでしたか?

田中 思いますよ! でも、「その子の家はそうかもしれないけど、うちはうちだから」と言いくるめられて(笑)。20歳の時に「一人暮らしをしたい」と言ったんですけど、仲のいいメイクさんに相談したら「まずは家庭内で自立したら」とまっとうなことを言われて思いとどまりました。いまも実家で暮らしてます。

——青春らしい青春を送れなかった後悔はありますか?

田中 いや、スパガでの活動が青春でした。誰でも経験できることじゃないので、後悔はないです。

写真=川しまゆうこ

( #2 へ続く)

たなか・みれい/1996年10月14日生まれ、埼玉県出身。2007年、エイベックスのオーディションに合格。2010年に結成されたSUPER☆GiRLSのメンバーに。2014年テレビドラマ『ファーストクラス』に出演。2016年末にSUPER☆GiRLSとしての活動休止(翌年に活動再開)。2018年3月末にグループから卒業。現在は女優として活躍。舞台 『BASARA外伝〜KATANA 虹の話 -銀杏-』 に出演(1/25〜28)。

(大貫 真之介)

引用元